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大手外食企業のデザインコンペの想い出

更新日:2月8日

1999年僕は小田原市が主催する船井総研会長の講演会場に居た

話が詰まらなさ過ぎて鼾をかいて寝ていたら両側の友達に起こされた

ちょうどその時マナーモードの携帯に着信が慌てて会場を出て、着信先に掛けなおした


「もしもし、あの~お電話を頂いたようなんですが…」

「ああ、○○さんですね。私です。私は○スコのブランド室長をしています。実は今度、弊社の新事業のデザインコンペがありまして、是非参加して頂きたくて」

「え、ウチが?」

「つきましては一度面会いただきたく…」

「あ、今出先なので、会社に帰ってから再度お電話させてください」


よく聞き取れなかったけどその時はパン製造のパスコだと思っていた


会社に戻り再度電話をしてあらかた事情を把握した

社名はタスコシステム 大手外食産業だ

北海道札幌発祥のベンチャー企業で今は品川に本社を構えている

来年に上場を計画しており、今までのデザイン会社(札幌・中堅)だよりでなく、コンペでデザインを含むCIコンセプトアイディアを募集するとのこと


何故、僕のような小田原の小さなデザイン会社に連絡をしたかと言えば、大手ばかりでなく、小さなデザイン事務所も含めるようにと社長からの要望があり、YAHOO検索で「小さいデザイン会社」と検索したようだ


まだホームページがそれ程メジャーでなかった時代

小さいデザイン会社の検索で、僕の会社の変なホームページは目立っていたようだ


その大手の外食企業が入る品川の会社に赴いた 10階建てのくらいのビルの2フロア

ブランド戦略室長と面会した

愛嬌のある人だった


新事業にかける社長の想いがつづられたペーパーと、タスコシステムの社歴を資料としてもらう終始笑顔で丁寧に説明してくれて、2週間後コンペのプロトタイプを見てくれるとの事


参加する競合他社を聞いてビビった

伊藤忠商事・博報堂など、大手が10社、それに北海道の中堅デザイン会社とウチの合計12社

何案提出しても良いとの事なので、多分20案以上は出てくるだろう

勝てる自信は無かったが、負けるとも思わなかったから、寝る間も惜しんでプロトタイプを作り込んだ


大手外食企業の社長のペーパーには「燃える情熱」というフレーズがいくつも出てきていた多分、多くのデザイン会社が炎をモチーフにしてくるだろう


僕は上場の事を考えた

上場して、タスコはどうなるんだろうか?日本中に外食産業を広めて終わりだろうか?

いや、世界に出るんだろうな

そんな新しい事業の誕生を目指しているんだろうな


社長のペーパーから事業の成り立ちの場面を映画のように展開したお客様を大事にしてきた逸話が広がって映像になる


多くのお客様の為に、世界への進出のために『育つ』をコンセプトに決めた

それだ 卵だ そして地球儀だ


僕は卵に世界地図をかぶせて日本を中心に持ってきた

色は?多分みんなは炎の赤で来る僕は青を選んだ 神聖・誠実を象徴する

コンセプトシートはA3用紙を選んだ隅まで色が通るようにA3ノビに印刷して、カッターで切り込んだ

それをもってブランド室長に面会する

表情は悪くない

「ロゴって、ROGOじゃなくてLOGOですよね」「あっ」ケアレスミスを訂正していく


そして提出

1週間後、決勝に残ったから来てくださいとの連絡を受けた


結局32案の戦いだった

堕ちたプランを見ると予想通り炎・赤ばかりだった


決勝に残ったデザインも見せてもらった


北海道の中堅デザイン会社だった

デザインコンセプトは「遺伝子」DNAの図形がアレンジされていた

社長の遺伝子はすっごーいって感じの「おべっか」たけど、通っちゃったんだからしようがない


一位採用となったが、紆余曲折の末に、会社のロゴは北海道のデザイン会社が担当し、新事業の焼き鳥FC展開のデザインは僕が担当することになった


品川の会社にデザイン用のPC一式を持ち込んで、社長室で、社長とひざを突き合わせて作ったのが「とり鉄」のロゴ


五反田駅前の1号店の装飾の一部、表現のルール、スタッフのユニフォームも担当した


親会社のタスコシステムは2000年に上場した

ブランドは10以上にも増えたが、内容が薄くなっていた


僕は良く社長に呼ばれて話をしていた

有る時、社員たちの声を聴いた「社長が出資者の方ばかり気にして、事業を見てくれない」僕は社長に進言した「事業はまだまだ予断を許さないです。事業を見ましょう。社員の声を聴きましょう」


それ以来僕は呼ばれなくなって、しばらくしてタスコは廃業した

ブランドの多くは撤収し、「北前そば高田屋」と「とり鉄」だけ残った


とり鉄の親会社は現在3?4?代目

ロゴに込めた想いは理解していないだろう

ただ、25年も長く継続する事業に育ってくれたことは、僕にとってとても有難い喜びである


僕のCIデザインを採用しなかった会社は無くなったが、僕のロゴデザインを採用したFCチェーンの暖簾は今も残っている


とり鉄のロゴ
とり鉄のロゴ

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